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粋スタッフの活動記

長野から東京へ

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 長野で7年に1度しかない「善光寺の御開帳」をやっていたので、周辺の観光地と併せていっぺんに行ってきた!

行程

 以下の通りの行程。なお、長野~湯田中は長野電鉄線、湯田中~渋峠・万座温泉~鎌原観音堂前は路線バス、大前~新宿はJR各線である。

長野645→651善光寺下806→835小布施1016→1037湯田中1043→1143渋峠→徒歩6km→万座温泉BT1425→1512鎌原観音堂前→徒歩4km→大前1732→1905新前橋1907→1918高崎1933→2043大宮2059→2135池袋2139→2143高田馬場2307→2311新宿

旅行記

 栄はもう深夜1時前であったが、それでもなお裏通りには人の賑わいが見え、テレビ塔も光を放っていた。泉の水も音を立てていた。
 長野行きのバスが発車した。大阪始発、京都経由のこのバスは、東新町交差点を左折後名古屋高速へ。名古屋の市街地の光が庄内川の手前に下がっていく中、エンジンの音を鳴らしながら北上。あたりはトラックや高速バスばかりの中を快適に進んでいった。春日井市、小牧市と通り過ぎていき、いよいよ中央道に入るため小牧東をゆるやかに曲がっていった。このあたりでようやく睡眠に入った。
 一路内津峠を越え、恵那峡、梓川のSAに止まっていく。時刻は深夜や早朝につき、ほとんどの乗客が睡眠中。それでもわずかながら下車して買い物や眺望を楽しむための時間に充てている者もいた。途中では松本駅にも停車するので、いかにも北アルプスに登攀しようとしている山男・山女たちが朝4時から下車していった。
 長野道を降りて、氷鉋(ひがの)の家々を眺めながら針路を北に直した。ようやく長野駅に到着したのは、朝6時を少し回ったころだった。

朝6時すぎの長野駅

 長野駅に着いたときから、広告やチラシ、垂れ幕までもが善光寺御開帳関係に溢れていた。路線バスも来ない静寂が支配していたが、依然としてそれらの宣伝がこの場の空気を支配していた。
 この地下にある長野電鉄(長電)の駅から列車に乗り、善光寺下駅で降りれば、善光寺はもうすぐである。

仲見世通り

 仲見世通りは、観光地の後背地ということもあり、観光客向けのお店が多く立ち並んでいた。しかし、朝6時半ころというのもあり、ほとんど営業していなかった。

善光寺御開帳

 善光寺は7年に1度だけの御開帳の期間中、絶対秘仏となっているご本尊の代わりに、回向柱が設置される。この柱に触れると、ご本尊に触れるのと同じ程度のご利益がある。これを求めて、この期間中は日本全国から非常に多くの参拝者が訪問する。

権堂
長電権堂駅

 長野市のビジネス街・権堂から長電に乗車、栗の名産地・小布施に向かう。列車の側面に描かれているのは、同社の鉄道むすめ、朝日さくらである。

小布施・桜井甘精堂
長電・特急スノーモンキー

 小布施に到着。江戸時代から続く栗の名産地で、長野県は栗の生産量が第4位である。 この街は「栗の小径」や栗のスイーツで知られている。そして、画像に上げた「桜井甘精堂」は200年以上続く名店で、季節の変わるたびに新しいお菓子が世に送り出される。

長電車窓から見える林檎畠
長電車窓から見える葡萄畑

 長電の列車は「特急」でも100円の追加料金で乗れるお手頃さが魅力。ほかの民鉄で走っていた特急型の車両がそのまま走っていたりするなど、こちらの面でも敷居が広い。
  列車は標高を上げ続け、林檎畠や葡萄畑が車窓に増えてくる。中野市を過ぎるといよいよ登山列車のように車輪を軋ませながら進み、終点・湯田中の温泉街の駅にたどり着いた。
  湯田中駅にはガイドツアーのお客さんが群をなし、旗を掲げる女性の前に並んでいた。それを掻き分け、駅前のバスターミナルに突入。1,450円のきっぷを購入して渋峠行きのバスに入った。
  このバス車内では、別の旅行者と話すことができた。バスターミナルにて担当者に「とにかく高いところに行きたいのですが。」と話していた方である。菅平から渋峠に進む絶景を見ながら曰く、「来てよかった」とのことである。

ここで一句。

夏至過ぎて 白雪残る 渋峠

菅平高原の池
志賀高原の看板
渋峠直前

 渋峠に到着。ここから群馬県。きっぷを運賃箱に入れてバスを降りた途端に高原の心地よくて涼しい風が吹いてきた。
 この県境の真上に料理店があり、ライダーや旅行者たちの胃袋を満たしている。私は筍汁を飲んだが、筍が新鮮で食感もよかった。
 そのうえ、ここでは「国道最高地点到達証明書」を手に入れることができる。その一方、お茶の間では、テレビで県境を跨いでいること自体が取り上げられていた。

渋峠に着いた長電バス
渋峠ホテル
渋峠ホテル

 厳密には国道の最高地点は渋峠から東に少しずれた山田峠にある。この袂には二輪車・四輪車ともに駐車場いっぱいに停められており、快適な風とともに遥か遠くまで山や草原を見渡せる。

山田峠
山田峠からの絶景
登山道より
登山道より

 山田峠を越えてしばらくしてから、登山道に入った。山の稜線に沿って上り下りが続く峻険な路程であった。謎の草が繫茂していたり、大小さまざまな石が転がっていたりしました。それでも、道中では眺めの良い場所があったり、名古屋から持ってきたお菓子を口にしたり、ほかの登山者と遭遇したり、なかなか普段はできないことができました。万座温泉まで無事に到着したときの感動はひとしおでした。

謎の岩場から
元気な山々
沢を渡りきって
万座温泉はもうすぐ
硫黄泉をつくる小川
万座高原ホテル

 万座温泉は近傍の草津白根山の影響で、泉質に硫黄を多く含有している。高校の化学の時間に「腐乱臭がする」「同素体にゴム状硫黄、斜方硫黄、単斜硫黄がある」というのを習った方も多いだろうが、その硫黄である。実際に路傍の源泉となる小川から独特の臭いがしているので、一度嗅げばわかるだろう。もちろん、「手で仰ぎながら嗅ぐ」ことを忘れずに。
 万座温泉からは、西武観光バスが万座・鹿沢口駅や軽井沢駅めがけて走っている。しかし、美しい自然を横目に駆け下りていくこのバスには、私一人しか乗車していなかった。

西武観光バス
嬬恋村の森林

 嬬恋村はキャベツの抑制栽培・近郊農業で知られた町である。中学校の地理の授業で学んだのが脳裏に浮かんでいる方も多いと思われる。これは、浅間山の火山灰を含む良質の土、適切な降水量、標高の高さ、気温の日較差、東京までの近さがそろったところで、高度成長期に開拓事業が行われたことの賜物である。
 ただし、浅間山に関しては時折噴火することがあり、人的被害ももたらしている。実際に江戸時代中期には500人弱の集落が火山灰に埋もれ、天明の大飢饉を起こすほどの噴火があった。浅間山と嬬恋の関わりに関しては、嬬恋郷土資料館に資料があるので、ぜひ見ていただきたい。

農産物直売所「あさまのいぶき」
鎌原集落
アスパラガス畑
キャベツ畑

 万座・鹿沢口駅のお隣、大前駅からJR吾妻線に乗車。その名の通り、吾妻川に沿って渋川駅まで走っており、大半の区間において渓谷の眺望を楽しめる路線となっている。終点の大前駅までやってくる列車は1日5本であるため、鉄道ファンの場合はここに合わせて旅程を組むことがある。大前駅以西も、菅平高原を通って長野県の豊野駅までをつなぐ計画があったが、水の泡となった。
 そんな大前駅だが、少し先に車止めが置かれており終着駅らしさを感じさせる。その手前にあるこじんまりとした待合室の中に駅ノートが置かれており、数々の旅行者がコメントを残している。また、運転士の方も乗務の後に記帳されたりしている。

大前駅
吾妻線が上越新幹線と立体交差する地点
高崎駅発車。次は倉賀野

 高崎駅から出た上り列車は10両。緑と橙の帯を巻いていた。東海道本線上りでいう熱海駅に来たような感想を抱いたものだ。そして薄暮から闇夜に移っていく高崎線を爆走していく。群馬県や埼玉県に散らばる多くの駅で乗客を拾いつつ座席を埋めていく。普通の座席に座りながら居眠りし、大宮駅に到着した。
 大宮駅からは埼京線に入った。地下ホームに降りると、そこには発車を待ちわびる乗客がまばらに乗っていた。列車が発車すると、東北や北陸など、北に向かう・北から来た新幹線と並走・すれ違う。途中の駅では、East-i(イーストアイ、JR東日本にとってのドクターイエロー)も拝むことができた。
 池袋に到着する間際には、「これぞ東京」といわんばかりに煌びやかな街の灯りが煌々としていた。

JR埼京線の車窓から東北新幹線を眺める
池袋駅付近
早稲田大学大隈講堂
「武蔵野アブラ学会」油そば
高田馬場駅ロータリー

 高田馬場の界隈には、この周辺のとある私大の学生の作り上げた文化が充満していた。ラーメン屋や油そば屋、居酒屋や本屋。乗客を待つ路面電車。この大学を目指す浪人生が通う予備校。そして法曹や公認会計士になるための予備校。酒に酔って口論を始める学生もまたこの街の華である。
 私も受験生だったころ、この大学のとある学部の入学試験を受けに行ったが、失敗したことが思い出される。

夜11時の新宿駅前
バスタ新宿近くのトレインビューが楽しめる場所

 この時間でも新宿の駅構内からデッキに至るまでには、人が溢れていた。そして家路を急ぐ人が小田急や総武線、山手線など各方面に散っていっている。日曜日の深夜だというのに、なんと華やかなことか。
 その人たちが向かうのとは別の方向に向かい、バスタ新宿へ。北や西に向かう数々の乗客が、今か今かと深夜バスの到着を待ちわびている。東北から九州まで、日本全国の方言を聞くことができる。某鼠の国のグッズやら東京土産やらを抱える人達とは対照的に、ひとり群馬や長野の土産を持つのみ。
 バスは初台のランプから首都高速を経て、高井戸から中央高速に入った。わずか3時間ほどの東京滞在だった。それでもここには書ききれんばかりの思い出ができた。走馬燈のようにこの日の出来事、話しかけられた相手の顔が想起された。
 思い出に浸っている間もバスは西進を続け、調布を過ぎたあたりからはついに夢の世界に入った。起きたのは境川・恵那峡のみであった。
 バスは小牧東JCTを左折、春日井で高速を降り、国道19号を南西に走っていった。そしてまた眠りにつくと、いつのまにやら、見慣れた栄のテレビ塔がそこには建っていた。

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