名大・南山生のためのフリーペーパー『粋』 公式WEBサイト

粋スタッフの活動記

名古屋→金沢 自転車の旅

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 フリーペーパー『粋』の企画は、粋スタッフが出した企画書をもとに、粋スタッフによる投票によりどれを紙面に載せるか決まる。そんな中、7月に発行予定の74号小企画で、1位とあと1票差で敗れ、ボツネタとなったのがこの企画である。

この企画のルールは次のとおりである。

  • 名古屋市〜金沢市を自転車で24時間以内に走破する。
  • 経由地は、関市・郡上市・白川村・南砺市とする。
  • 道中で写真を撮る。

というものである。果たして、挑戦者・石原は兼六園を眺めることができたのだろうか。写真とともに予想してみてほしい。

21時15分、スタート地点の大曽根駅。名古屋市北東部の交通の要衝で、この時間でもわりと人の交通があった。これから北へ北へと向かっていく高揚感に打ちひしがれていた、このはるか先で地獄が口を開けていることに気が付かずに。
21時45分、名古屋市を脱出、豊山町に入る。豊山町は、名古屋市中央卸売市場北部市場、三菱重工業工場、名古屋空港が立地する自治体となっており、財政がかなり健全な自治体となっている。
22時53分、柏森駅。大口町と扶桑町の境界に位置しており、両町の中心駅としての機能を有する。そのため、快速特急も止まる駅となっている。大口町はヤマザキマザックが立地している自治体で、扶桑町はかつて桑の生産が盛んだった(桑に扶けられた、日本の異称ではない)自治体である。
23時13分、愛知県から岐阜県に入る。愛岐大橋南詰にて。各務原市に入ってもしばらくは愛知県内と同じような風景が続く。この先で航空自衛隊岐阜基地を回避するような道筋を描く。
24時、各務原市から関市に入る。初の峠越え。自転車を照らすのはところどころにある街灯のみである。道中、こういうふうに峠を越える箇所のたびに上り切ったことへの達成感に打ちひしがれていた。
1時44分、名鉄旧美濃駅前にて。名鉄はかつて岐阜を中心に谷汲・美濃・高富までの路線を運営していたが、岐阜市の強い意向により2005年に全廃に追い込まれた。現在は鉄道資料館として余生を送っている。上は当時使われていた車両。
2時47分、道の駅美並にて。勿論こんな時間に営業しているはずもなく、わずかばかりの自動車が哀しそうな顔をしながらこちらのほうを眺めていた。
3時2分、郡上市美並町にて。美濃市以降数10kmに及ぶ緩い上り坂の合間に咲く下り坂という花は、丑の刻に郡上市内を行く自転車乗りの心を和ませてくれた。
4時3分、八幡町吉野にて。相生駅付近である。国道156号線をひた走ると、このような長良川を超える橋が所々にかかっているのがよく見える。
4時40分、郡上八幡の市街に到着。早朝であるため、自分の自転車以外は誰も一帯にいなかった。7月から9月まで、郡上八幡のまちはおどりで賑わうが、そんな雰囲気とは正反対の静寂に包まれていた。
4時43分、郡上八幡の中心部。手前の街灯とともに、町明かりが煌々と自転車を照らしている。
5時13分、八幡町瀬取。駅でいうと自然園前あたり。日が昇り、風景を眺めることができるようになったが、ここまで不眠であったため、眠気と闘いながらの走行へとフェーズが移った。
6時42分、西ケ洞桜公園にて。この公園は4月末には芝桜が咲き乱れ、写真を撮りに来るものが後を絶たない。上から眺めてみるのがおすすめである。この公園では休憩を兼ねて30分ほど滞在した。
7時51分、美濃白鳥駅。白鳥町も八幡と同様、夏場になると踊りを見物する観光客が殺到する。ここまで相変わらずご飯を口にすることができていない。このときはまだ、ひるがの高原の手前まで続くとは予想もしていなかった。
9時21分、北濃駅。越美線(美濃太田駅~福井駅)の計画の成れの果て。県境を穿つ隧道はついに完成することなく、JR西日本越美北線(福井駅・越前花堂駅~九頭竜湖駅)と長良川鉄道越美南線(美濃太田駅~北濃駅)に分断されたままとなっている。このあたりから膝に相当の痛みを感じながらの走行となったうえ、上り坂がきつくなるので走行ペースが毎時7キロにまで低下していた。
9時44分、高鷲町鮎立。山峡を突き進んでいく中、釣りを楽しむ方やのどかな集落などの風景が見られるようになった。
11時47分、道の駅大日岳。中はこじんまりとしながらもこじゃれた雰囲気になっている。ここを挟んで、高鷲からひるがの高原までの間は勾配が激しく、この区間7kmの大半は徒歩での移動となった。ここで昼食をとることにした。
その昼食の内容は高山ラーメンで、固めの麺にパセリや豚肉のトッピングがある。ここまでほとんど食べることなく移動してきたので、より一層身に沁みる味になった。
12時47分、長良川源流。夫婦滝から落ちてきた水がゴーゴーと轟音を立ててこちらのほうに向かってくるので、大迫力であった。
13時03分、分水嶺公園(ひるがの高原)。ついに太平洋側から日本海側に入ったんだな、という達成感、およびそれに伴う自信がここから分かれる水とともに湧いてきた。自転車もここからは下り坂メインとなるので、一気に足取りが楽になった。
この公園にあるアイスクリーム屋では、高原牛乳ソフトのほか、山葡萄と木苺のアイスを食べることができる。これを食べていると、名古屋からひるがのまでの道のりのことが走馬燈のようによみがえってきた。
13時58分、牧戸駅前。駅前といってもバス停である。これは、かつて今回自転車で走っていた区間をそのまま行くような国鉄の路線バス「名金線」が由来だからだ。

14時35分、御母衣湖畔。御母衣湖は、庄川において発電を行うため、この地域における穀倉地帯を消滅させてでも建設されたダムである。
14時38分、荘川桜。これは、御母衣ダムの建設工事に伴い水没することになった地域の寺院の桜を移植することにより、ここに集落があったことの生き証人になっているものである。例年はゴールデンウィークころに満開を迎える。
15時45分、旧遠山家住宅前(白川村平瀬)。合掌造りは、雪害対策のほか、コメの取れにくいこの地で養蚕や塩硝(KNO3)の生産に使えるよう広い家を作ろうとした結果生まれたものである。このような、もともと民家だった建物が重要文化財として保護されているケースもある。
16時50分、白川郷にて。言わずと知れた世界遺産であり、この地の独特の文化的景観が評価されたものである。舌を巻くほどに多くの合掌造りの家屋が並んでいる。
18時19分、飛越七橋のひとつ、合掌大橋。この一帯では県境となる庄川が蛇行しているため、3kmの間に7回も県境を越えることになる。
18時33分、南砺市小白川。奥に白山を眺めることができる。
19時19分、南砺市菅沼。夜になった集落が煌々と照らされる。
20時9分、南砺市見座。「ゆっくり走ろう」と言われなくても、自転車に乗っているうえに山越えが待ち構えているので、勝手に遅くなるわ!と一人ツッコむ。

21時30分、南砺市大鋸屋。ここでついに終了。なお終了後、この近辺の展望台から砺波平野を眺めたものがこちらである。これを撮った直後、展望台で自転車に乗ったまま突っ伏していたところ、通りかかった自動車に乗せてもらい、砺波のホテルに宿泊したのであった。

 ということで、チャレンジ失敗!…でしたが、24時間かければ名古屋・金沢間240kmのうち、210kmを走破することができる、という検証結果が得られました!

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