流れ星を見た。
眩しく、確かなひかりだった。
強く明るい光は空に一点きらめいて、
夜のヴェールを切り裂くように、
すう、と流れた……。
美しく、統一がとれているように
私は文章を書くのが怖い。
世の中には多種多様な人間がいる。いろんな立場の人に配慮する必要がある。
しかし最近では、それが気遣いを超えた範ちゅうで私を縛ることがある。たとえば「私はアイスクリームが好き」と書くとき、アイスクリームが好きではない人のことも思い浮かべなければいけない気がする。
この言葉遣いは誰かを傷つけないか。本当にこの記述が適切か。漢字は一つ残らず統一されているか。
『粋』のルールでは、文章中で「素敵」と「すてき」と「ステキ」は混ぜて使ってはいけないことになっている。
校正作業は大切だ。しかし、私は自分の文章を「正しく」書かなければいけないという考えにとりつかれ、自由気ままに書けなくなってしまった。
今も、迷いながらパソコンのキーボードを叩く。
勇気をふりしぼって
忘れてはいけないことが一つある。
「可愛い」と「カワイイ」と「かわいい」は違う。
文字を統一することで美しい文章になったかもしれないが、それはもはや「うつくしい文章」ではなくなったかもしれない。
校正作業をヤスリにたとえるならば、何かを磨いて光らせるような工程であるべきで、角だけを削るものであってはいけないと私は考える。
悪い意味で言葉が均一になり、文章が平坦になってしまわないように。常に自分の言葉にも、人の言葉にも敏感でいたい。
私は、自分自身を信じる。
私の「好き」は私だけの気持ちだ。 心が何かに動かされたとき、それを文章に残したいと強く願う。その思いを、忘れたくない。
文章を書くことについて考えると、私は乳白色にかがやくだ円の立体を思い浮かべる。
それは時に青みがかった光を放つ。あるいは形を変えてうすく空気中にただよう。くらやみの中でほのかに温かく浮かび上がるときもある……。
すてきな言葉に出会えば、甘いよろこびが私の胸を叩く。ピタリと当てはまったならば、心にみずみずしい風が吹く。
文章を書くことは、楽しい。
企画部の諸君、自分の言葉にこだわろうではないか。私はみんなと語り合いたい。ここに当てはまる言葉はなんだろうか。顔も合わせないで一緒に雑誌を作っている私たちは、何でつながっているのだろうか?
あなただけの言葉をおしえてね