『粋』読者の皆様、こんにちは。そしてメリークリスマス。企画部3年の村尾です。
気づけば編集者生活も2年を過ぎました。先輩から後輩に至るまで数多くの同志と出会い、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返しながら雑誌を作り続けて、早2年です。『粋』スタッフの任期は3年生の末までとなっており、そろそろ後進にバトンタッチする時期が迫るなか、悔いなく次世代に襷を渡せるよう奮闘する日々です。
そんな中で巡ってきた「粋Web」の記事の執筆。何を書こうか…と思いつつ、今回は「流儀」のお話をしようと思います。よろしければ、最後までお付き合いください。
究極のマイ・ルール
皆様は「流儀」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?
NHKで放送されている例の仕事人紹介番組を連想する方はそれなりに居そうですね。読書が好きな方だと、伊集院静による処世術を語るシリーズ「大人の流儀」を想起されるかもしれません。
この「流儀」という言葉ですが、辞書を引くとこんな言葉が出てきます。
- 物事のやり方。
- 技術・芸能などで、その人や流派に伝わっている手法・様式。
つまり、平たく言えば「ある人の根幹をなすセオリー」のことを、流儀というようです。仕事、ひいては人生への向き合い方だったり、絶対に譲れないことだったり、そういった、いわゆる「マイ・ルール」とでもいうべきものを全てひっくるめて「流儀」と呼ぶことができそうです。
共鳴する流儀
さて、なぜ急にそんな「流儀」の話をしようと思い立ったかというと、『粋』という団体の中での生活で嫌が王にも意識せざるを得なかった言葉だったからです。
先ほど少しふれたように自分はもうすぐ隠居の身となるのですが、『粋』の制作とはすなわち、そこにいるスタッフ達の「流儀」を組み合わせる作業でもありました。
製作スタッフは例年合計30人前後。それぞれがそれぞれの「流儀」を持って制作をしています。その流儀は(文章やデザインといった)各々のお仕事に関連するものかもしれないし、そもそもの団体における心構えに通じるものかもしれません。場合によっては、2人のスタッフが一見相反するように見える流儀を持っているケースもあるでしょう。
しかし、そのいずれも、今の『粋』を形成するために欠けてはならないもの。このメンバーが持ち前の流儀を共鳴させるからこそ作ることができるものが『粋』でした。
その共鳴、ベストなマッチングを求め続けた2年間のライター生活はとても充実したものだったと、今、思います。
かくいう自分はというと
そんなわけで、つらつらと「流儀」に対する私見を述べてきましたが、自分にだって「流儀」はあります。
まず、楽しむこと。どうせやるなら楽しむための工夫は惜しまない。特に『粋』は読み物ですからなおさらだと思います。だって、スタッフが楽しんで作っていないものを、誰かが読んでみたいと思います? 自分なら、イヤですね(笑)
それから、自然体で向き合うこと。文章は不思議なもので、書く人のフィーリングがペンやキーボードを経由してモロに表れてしまうんですよね。イラつきながら書いた文章はそれだけピリピリするし、迷いながら書いた文章はそれだけおどおどしたオーラを纏います。だからこその「自然体」。校正(ざっくり言うと、書いた原稿を他のスタッフに添削してもらうイベント)がうまく行かない時だって、焦りながらもキーボードには自然体で向き合います。
今に至るまで、この2つの流儀は自分の中であらかた貫徹できたかな?と思っています。よかったよかった。そこはこれまでの編集者生活で誇れるところかな?と、我ながら思います。
おわりに
というわけで、今回は「流儀」のお話をしました。ここまで読んでくださった方々、誠にありがとうございます。
この「粋Web」では、特別連載として、スタッフ達が自らの考えを率直に語る「スタッフに訊く!」という連載があります。もしかすると他のスタッフの流儀を感じさせる一文があるかもしれません。興味のある方はぜひ、ご一読ください。
また、『粋』の新作は毎年1・4・7・10月の上旬に刊行となっています。次回の新作(76号)はもう間もなくの発行となっていますので、そちらもお楽しみに。
それでは、今日はこの辺で。