
皆様こんばんは。「THE・今夜は音楽三昧」の時間がやってまいりました。今週もよろしくお願い致します。
今回のタイトルですが、読みは割とそのままで、「さみだれき」です。この記事の公開日である6月24日を指す言葉なのですが、「…何ですかそれは」という人も相当数いるのではないでしょうか。あるいは、演歌や昭和歌謡を愛する人であれば「林檎忌なら知っている」という人もいるかもしれませんね。
今日はそんな「五月雨忌」のお話です。よろしければ最後までお付き合いください。
巡る時代の天才歌手
さて、「忌」という漢字から分かるように、この「五月雨忌」はある人物の命日です(のっけから縁起の悪い話ですみません…)。先ほど少し述べた「林檎忌」もそれは同じで、「昭和の歌姫」の異名を取った超大物歌手・美空ひばりの命日のことです(奇しくも没年は平成元年。「林檎」は1952年発売の彼女の代表作の一つ「リンゴ追分」からです)。 では、今回取り上げる「五月雨忌」とは誰の日か?
その方の名前は、村下孝蔵(むらした・こうぞう)さんといいます。
このコラムでも度々楽曲を取り上げていますので、読んでくださっている方の中には、ピンとくる人もいるかもしれませんね。1980年代、ニューミュージックやアイドル歌謡が日本の音楽シーンを席巻する中で、当時やや人気が下火となりつつあったフォークソングで勝負する本格派としてデビューした歌手です。
その楽曲の歌詞を読んでみると英語はほぼ皆無、カタカナも最低限にとどめ、日本語・平仮名の美しさを感じさせることに特化しており、さらに歌唱力も圧倒的。おまけにギターの腕も光一。特に、ライブのMC中に「ひとりベンチャーズ」と銘打って披露した演奏は動画サイトで拡散され、彼の名前を知らない人々の間でも語り草となっています。
先述した通り彼の活動期はフォークソング全体の人気が押されていた時期に重なっていましたが、「時代は追いかけるものではなく、巡りくるもの」と語り自身のスタイルを貫徹。90年代に入って以降もコンサートをメインに活躍しました。1999年、今から23年前の6月24日に急病によりこの世を去りますが、死の1週間前までコンサートに打ち込むなど、生涯現役を貫きました。彼が遺した楽曲は没後20年以上が経過してもなお動画サイトなどで幅広い世代に親しまれています(ちなみに、今の大学生世代と思しきユーザーも多数コメントを残していて、やっぱり良い音楽は世代を超えるんだ…としみじみ思ったりして)。
というわけで、ここまで「五月雨忌」に関する説明でした。ここからは、彼の楽曲の中からいくつか見ていくこととしましょう。

しとしとと長時間振り続けるような涙雨を冠しているのが、きょう・6月24日なのだ
あこがれの「赤い屋根の家」
突然ですが、皆さんには憧れの場所がありますか?
具体的なスポットが頭によぎる人もいれば、漠然としたエリアが脳裏に浮かぶ人もいるでしょう。村下氏のそれは前者だったようです…
赤い屋根の家に住みたい 小高い丘に建ってる
冬の空 星座なら君と僕が 寄りそって窓ごしに見ていたい
「北斗七星」(1984年、作詞・歌唱:村下孝蔵)
こちらは1984年のアルバム「花ざかり」の収録曲「北斗七星」の冒頭の歌詞です。こういったロマンティックでどこか陰を感じさせる詞は村下氏の十八番。ハイテンポでの演奏にも対応しうるサウンドも特徴的で、ライブでは村下氏が自らエレキを弾きながら歌ったこともありました。
ここで歌われている「赤い屋根の家」にはちゃんとモデルがあります。広島県にある喫茶店で、名前はそのまま「赤い家」。なんと、2022年現在も営業を続けており、ファンの聖地巡礼ルートにも入っているんだとか。中には広島の街並みを一望できる展望席なんかもあり、そこから見える夜空を、家の窓から見える景色に仮託し、それを見つめる二人の心情に迫ったのが、この「北斗七星」。二人に待っている未来は最後まで明確にされておらず、それがさらに、「赤い屋根の家」の世界を膨らませているのです。
君の温もりと僕の温もりが打ち消し合って なぜか冷たい
流れ星 願い事かけるまに 遠くへ遠くへ消えていく
闇夜なら寂しくて 愛おしくて 抱き合えばもっと悲しい
「北斗七星」(1984年、作詞・歌唱:村下孝蔵)

こともある。「赤い屋根」の展望席からの景色は、村下氏に何を感じさせたのだろうか
子どもの頃、何をして遊んでいたっけ?
次にご紹介する楽曲は、「子どもの頃の遊び」がテーマです。
指切りをして さよならを言った 遠い夕暮れに
綿毛の雲が 流れた夏の日 覚えていますか?
「かげふみ」 (1984年、作詞・歌唱:村下孝蔵)
先述した「北斗七星」が収録されていたアルバム「花ざかり」の1曲目に収録されていた「かげふみ」。サウンド面では他の楽曲とどうも違いが多いです。明らかにテンポが速かったり、裏の拍を随所に盛り込んだリズム進行だったり。元々はアイドル歌手の高田みづえに提供するために作られたことの名残と言えるのかもしれません。歌詞は他の楽曲同様自然物を随所に盛り込みながら戻らぬ幼少期の思い出を歌った内容になっていますが、特に秀逸な表現がこちら。
遅れた時計直すよに 人を傷つけた日もある
はかない恋に口ずさむ さくら貝の唄
「かげふみ」 (1984年、作詞・歌唱:村下孝蔵)
この歌のテーマは「幼少期の思い出」ですが、子どもは大人以上に直感的な思考を重んじます。融通を利かせる、なあなあを適度に使うということが難しい。この「遅れた時計」は、そういう、幼心に見逃せなかった過ちで、それを悪気なく指摘したり直そうとした結果他者を傷つけてしまった(結果、淡い恋が終わった)。そんな過去をそこはかとなく仄めかす歌詞なのではないでしょうか?「今思えば、あれは幼稚な頃だった」という経験、それをここまで私的な表現で掬い上げるのは、添付の際と言えましょう。
靴をならして帰る友 赤いリボンが揺れていた
明日もきっと晴れるはずと みんな信じていた
ポケットの中 つめこんだまま こわれそうな夢
追いかけていた 小さな影に 今も届かない
「かげふみ」 (1984年、作詞・歌唱:村下孝蔵)

なるときがある。遊具の極彩色が写真にしたときに何とも言えない「映え」を生むからだろうか
浪漫系鉄道哀歌
村下氏の出身は熊本県。その後、広島を拠点としていた時期もありました。いずれにせよ、西日本と縁が深い人生で、楽曲の舞台も西日本が多かったのですが、この曲は少し例外的でした。
愛を貯めてた 少しずつ 君を満たしていたかった
愛を食べてた ひとつずつ 君を満たしていたかった
「ロマンスカー」(1992年、作詞・歌唱:村下孝蔵)
詩的な対句から始まるこの曲は、1992年に発売されたシングル「ロマンスカー」。ほぼすべてのパートが過去形で綴られたモノローグの楽曲です。タイトルの「ロマンスカー」とは神奈川県の私鉄・小田急の所有する特急電車のこと。いち早く二人掛けのシート(ロマンスシート)を設けたことが由来の旅客鉄道です。
そんな特急の名を冠したこちらの楽曲、歌詞を読み解いていくと、きわめて切ない内容になっています。それまでも「愛情以外は何も僕らの未来を作れない」「抱きしめ合うたび何故か僕らは過去へと逃げてった」など、どうにも陰のある表現が続きますが、特に顕著なのが2番後のBメロ(3回目)→大サビ。
海にも山にもいつか 並んで行こうね 手をつなぎ
君の好きなロマンスカーは 二人の日々を駆け抜け
夢がにじむ遠い夜空に 名もない星が流れた 君はいない…
「ロマンスカー」 (1992年、作詞・歌唱:村下孝蔵)
恐らく視点人物は「海にも~手をつなぎ」という約束を想い人(=最初の引用における「君」)としたのでしょう。それが何らかの理由で叶わなくなり、夜を走るロマンスカーを見ている視界が涙でにじみ、君はいないと実感する…何ともせつない話です。さらに、最後の「君はいない」、実際に訊いてもらうとわかるのですが、ここだけ他のパートより明らかに高い音階設定。このことも切なさを加速させています。
ちなみに、村下氏は生前のインタビューで自身の一番好きな楽曲はこれだと回答しており、自身の葬儀で流してほしいとすら言っていたそうです(そして、実際に葬送曲に使われたようです)。あまりに切ないがゆえに、心に残るものがあったのでしょう…

その光に照らされながら思うことは、時の流れに置いてけぼりになっている自分のこと
「五月雨忌」の語源にもなった超名曲!!
ここまで何曲か見てきましたが、まだ「なぜ村下氏の命日は『五月雨忌』なのか?」という質問に答えていませんでしたね。 その答えは、この歌にあります。
五月雨は緑色 悲しくさせたよ一人の午後は
恋をして淋しくて 届かぬ想いを暖めていた
「初恋」(1983年、作詞・歌唱:村下孝蔵)
彼の最大のヒット曲・1983年の「初恋」です。この曲だけなら知っているという人もそれなりにいるかもしれませんね。学生時代の初恋を繊細な表現で綴った一曲で、近所の小学校を訪れた際に楽曲の構想を閃いたという逸話なんかもあるそうです。この歌の冒頭が「五月雨は緑色」であること、そして6月24日が梅雨の時期であること。この2点が「五月雨忌」の所以となっています。
この歌は他の作品に況して比喩表現が冴えています。冒頭の「五月雨は~」もそうですし、サビの「振り子細工の心」もそうですが、中でも初聴で「すごい!!」となったのが、2番のサビでした。
「好きだよ」と言えずに初恋は ふりこ細工の心
風に舞った花びらが水面を乱すように
「愛」という字書いてみては 震えてたあの頃 浅い夢だから 胸をはなれない…
「初恋」(1983年、作詞・歌唱:村下孝蔵)
感情のささやかな揺れ動き、言葉を少し尽くせば陳腐になってしまうような難しい心情を、これほどまでに的確かつ美しく言い切ったフレーズは、後にも先にもなかなかないのではないでしょうか? 日本語の美しさを読ませる詞にこだわり抜く村下氏の真骨頂の一つと言える気がします。この姿勢は高い支持を集め、村下氏の名前が全国区に轟く契機の一つとなりました。現在は村下氏の故郷、熊本県にこの曲の名前を冠した「初恋通り」があり、歌碑も設置されています。

てっぺんにあるガラス球に届きそうで届かない、緩やかな揺れが時にじれったく、時に愛おしい
望んで、祈って、そして誓って。
蝉時雨遥か すだれごしに水を打つ夏の夕暮れ
石が川面を跳ねるように ときめいた君を想って
「陽だまり」(1987年、作詞・歌唱:村下孝蔵)
本日最後の楽曲は、「陽だまり」。いろいろと「珍しい」楽曲です。
まず、村下氏の有名曲では珍しい長調の曲です(これまでに取り上げた4曲はいずれも短調曲。その他、「踊り子」(1983年)「ゆうこ」(1982年)「かざぐるま」(1985年)など、他の有名曲は悉く短調なのですが…)。続いて、彼の楽曲で唯一となるアニメタイアップが付いています(アニメ「めぞん一刻」オープニングテーマ)。さらに、これまで取り上げた楽曲はどこか陰があったり切なかったり悲恋だったりしましたが、この曲の詞はそういった要素がありません。イレギュラーではありますが、それ故にとても魅力的な楽曲になっています。特に注目したいのが、1番と2番のサビ。どちらも言葉選びが天才です。
きらきら 夕焼けの中 微笑みなげて 望みを祈りにかえたら
一番大事な事忘れずに 輝いていて欲しいよ
ひらひら 花びらの舞う春の午後には 祈りを誓いにかえるよ
二人で陽だまりの中 光あつめ やさしさを わかちあえるさ
「陽だまり」(1987年、作詞・歌唱:村下孝蔵)
この曲のサビは全体的に表現が秀逸(特に1番)なのですが、注目したいのが太字部分。1番で「望み」から変化した「祈り」が、2番では「誓い」にさらに変化しています。あの人「と、幸せになりたい」→「が、幸せでありますように」→「を、幸せにして見せる」という見事な変遷。ちょうどこの歌が起用されていた時期の「めぞん一刻」は主人公たちが結ばれるか否かの超クライマックスだったことも加味すると、劇中の恋愛劇とドラマティックな結び方をしているとみることができます。
2019年に行われた「発表!全るーみっくアニメ大投票」(るーみっくとは、漫画版「めぞん一刻」の作者・高橋留美子先生の愛称)では主題歌部門でトップ10入りを果たす(6位)など人気を博すロマンスナンバーは、相手への深い思いをこれでもかと重んじる超名曲だったのです。

これから来る夏のことを想いながら、胸に秘めた望みを祈りに変え、手を合わせた
おわりに
というわけで、本日は「五月雨忌」というテーマでお送りしました。最後まで読んでくださった皆様、誠にありがとうございました。
これは音楽に限らずあらゆる文化的なものにとっての普遍真理ではありますが、良い物は時代を超えて親しまれ続けるものです。そして、村下氏の残した楽曲、並びに時代に迎合せずとも自身のスタイルを貫いた生き様というのは、遠い未来にまで語られてしかるべきであると、私は思います。
それでは、また来週もこの時間にお会いしましょう~。
作者よりお知らせ
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このコラムで紹介した楽曲のプレイリストを用意しました。LINE MUSICで聴くことができます。以下のURLからアクセスしてください。次回以降の紹介曲についても順次公開していきますのでよろしくお願いします。
https://music.line.me/webapp/playlist/upi7nLrdtfvhxjzl_GXu9zYQaUd_BLXPXHlL?myAlbumIf=true