みなさんこんにちはこんばんは。企画部長さやぽてです☺︎
今日も今日とて眠いです。いつも通りっちゃいつも通りなのですが、今回の睡魔の原因は完全に
文 章 校 正 !
まさに昨日、月曜日に、
3年生にとっては最後の文章校正が終わったばかりなのです。
もう最後なのか。
早かったなあ。
もかの美味しい差し入れももう最後になろうとしているなんて…
そんなわけで、今回の私の記事は
粋に入ってからの3年間をつらつら振り返るひとりごとになります。実は現在の粋スタッフの中では最古参(!)のため長い昔話ばっかりですが、どうぞお付き合いくださいね。
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初めて粋の存在を知ったのは、実は大学入学前。
受験でキャンパスを訪れ、長い試験間休みにリフレッシュしようと構内を散歩中に、置いてある粋を目にしたのが最初でした。
何気なく手に取ったのですが、帰宅後中をじっくり読んでみると
「こんなしっかりした冊子を、大学生だけで作れるのか!」
と吃驚した覚えがあります。
先輩たちのスタッフトークを1番眺めました(笑)
高校時代も部活で文章を書いたりしていたこともあり、毎日のように粋を眺めては、入学したら絶対見学しようと心に決めていました。
そして入学後、三度の見学の後に面談をし、晴れて粋スタッフの仲間入り。
入ってからしばらくは同期がでてぺのひろたとまおしかいなくて、企画部の下っ端1人は心寂しく先輩にいじられ(?)可愛がっていただきました。
秋にはゆず、まりこが加わり、2年生になるとたくさんの同輩と後輩が一緒になって、一気に賑やかになったなあ。
企画部の仲間が増えて嬉しかったり、戸惑うことも多くあったり…
ただ、私の企画プレゼンは
「テーマや想いは強いけど、抽象的だよね!」
と言われなかなか通ることはありませんでしたし、自覚もしてました(笑)
他の人がいっぱいプレゼン通していくのを横目に、いっぱい悔しく感じたりちょっとジェラシーを感じたりなんかも。
2年生の代替わり直前には、自分のキャパオーバーですごく迷惑をかけて。後輩にまで弱いところを見せてしまったことを前企画部長および企画部の先輩方に叱責されたりもしました。
その時言われた言葉は、この1年間ずっと心に言い聞かせてきたつもりです。
「粋にとって編集長は、粋の代表者として粋と関わる外部の人や団体の対応をしなきゃいけない。DTP部長は、粋を呼んでくれる読者のためにデザイン全部を監修するし、営業部長は、粋を発行するために一生懸命企業や学生団体と交渉してくれてる。
みんな、粋のことももちろん考えてるけど、粋以外の人のこともたくさん考える時間が必要でしょ。
じゃあ誰が、粋のみんなのことを考えてあげられるのか。それはやっぱり、企画部長なんじゃないかなあ。リーダーとしてじゃなく、陰で粋みんなの支えになるんだよ。
支えになろうとする人が、他のみんなに心配かけるようじゃ、信頼しようがない。自分の限界をきちんと把握して、頑張って。企画部長になったら、残りの1年を全部粋のために頑張る覚悟を決めなさい。」
これは、後輩みんなにもぜひ伝えたかったけど、口頭は気恥ずかしいのでここで読んでくれていれば嬉しいな。
ちょうど1年前だけど、少しは成長してるかなあ。
自分では、1mmくらいは成長できてるはず…と思っておきます。
企画部長になってからの1年間は本当にあっという間だった。
文章校正があっという間に感じるようになったし(居眠りも激減したし!←)、前述の言葉に倣って粋メンバーにはハタ迷惑なお節介を何度かかけたりしてたら、もう最後の文章校正まで終わってしまいました。
制作に関わったのはちょうど10号分。
次で粋が50号を迎えるので、5分の1に関わることができたんですね〜。感慨深い。
本当に長々と書き綴ってしまいました。
粋でたくさん苦悩もして、圧倒的に辛いことが多かったけど、
今思えば全部 私が今のようになるには必要なことだったかな〜なんて思います。
こんな風に、粋の1号1号の裏には、いろいろ感じながら毎号制作に励んでいるスタッフがいるんだよ、ってことも少し知ってもらえたら嬉しいな、と。
ちなみに散々こんな文章を書いて引退オーラ出してますが、まだあと1か月粋やってます。笑
あと少しですが、最後まで企画部長としてやれることをやりきりたいな!!
さあ、あと1か月で他の3年生メンバーにも粋ブログを回さなければいけないぞ!
そういうわけで営業部平スタッフのよーへーにバトンタッチ٩( ‘ω’ )و☆ありがとうございました!